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twinrailの海外鉄道旅行記録

高麗航空のツポレフ機で平壌から帰国する 朝鮮平壌南浦巡検 02-16

高麗航空は朝鮮唯一の航空会社である。機材はすべて旧東側諸国のもので、それも何十年物の博物館級の飛行機が今でも現役だという。もちろん、ボーイングエアバスなどの旧西側諸国の機材は一つもない。

実際に乗ってみた。

訪問日: 2019年9月16日

平壌空港へ行く

朝鮮最後の朝を迎えた。高麗ホテルをチェックアウトし、朝もやの中を空港へと向かう。平壌順安空港は市街地から北へ20kmほどのところに位置している。

 

車窓から見えた朝鮮鉄道の西浦青年駅。

 

30分ほどで平壌順安空港に到着した。ターミナルビルは改装されたばかりなのでとてもきれいだった。

 

2階が出発ロビーになっている。

 

本日の出発便は4便だけである。我々は08:50発の北京行きJS151便に乗る。

 

4便だけとはいえ、朝の時間帯に3便が集中しているので、チェックインカウンターはかなりの混雑であった。

 

平壌空港でノートパソコンを買うオタク

3階がレストランやショップになっている。

 

子供用品店。店のセンスがかなり尖っている。

ちなみに朝鮮らしいお土産はほとんど売られていなかった。お土産は平壌市内で買うべきである。

 

電機店を見つけた瞬間、メンバーのガジェット・オタクがすぐさま中に入ってガイドと話し始めた。

 

しばらくしたらパソコンを抱えて出てきた。行動力が異常すぎる。その名も「青空」(푸른 하늘)という、朝鮮オリジナルのパソコンである。

 

開くとこんな感じである。この後もパソコンについてなにやら早口で喋っていたが、どうでもいいのでぜんぶ忘れた。

 

高麗航空に搭乗する

高麗航空の航空券をもらった。まったくもって普通の航空券である。

 

航空券の裏面。

 

出国審査と保安検査を受ける。前回鉄道で新義州から出国したときには手荷物やスマホの検査があったが、今回はまったくなかった。

 

制限エリアで搭乗を待つ。よく見たら制限エリア内もけっこうレストランやショップがある。ただいずれにせよ、お土産は平壌市内で買っておいたほうがいいと思う。

 

搭乗受付が開始された。いよいよ平壌を離れる。

 

今回搭乗するのはツポレフTu-204、機体記号P-633である。2010年から活躍する比較的新しい機体だ。

 

隣にいたツポレフTu-204、機体記号P-632。こちらは2007年から高麗航空にいる。

 

 

高麗航空の座席。

 

機内の様子。ほとんどが外国人であり、欧米系も多い。ビジネスや公務などの需要があるのであろう。

 

安全のしおりの表面。

 

安全のしおりの裏面。

 

平壌空港は航空博物館状態

ドアクローズし、タキシングを始める。

 

ツポレフTu-154B(機体記号P-552)。1975年納入の博物館級の機体である。

 

同じくツポレフTu-154B(機体記号P-561)。1983年納入とこちらも古い。

 

ツポレフTu-134B(機体記号P-813)。1984年納入。

 

ツポレフTu-134B(機体記号P-814)。1984年納入。

 

左からイリューシンIl-62M(機体記号P-881、1979年受領)、イリューシンIl-76MD(機体記号P-914、1990年受領)、イリューシンIl-76MD(機体記号P-912、1990年受領)、イリューシンIl-76MD?(機体記号P-913?、1990年受領)。

まるで博物館を見ているようだ。

 

フライトの様子

平壌郊外の農村を眺めながら離陸した。

 

上空から新鴨緑江大橋を眺める。左側の朝鮮側の接続道路がまったくできておらず、未開通のままだ。

 

左側が新義州駅、右側が丹東駅。

 

高麗航空の名物機内食といえばハンバーガーである。

 

中身はこんな感じ。噂どおりあまりおいしくはなかった。

 

北京から天津へ復興号に乗る

北京首都国際空港に着陸した。北京南駅までタクシーで移動する。

 

12:40発の天津行きのC2035列車に乗車する。

 

車両は導入されたばかりの復興号である。

 

二等車に乗り込む。

 

車内もきれいで快適だった。

 

速度も速い。最高時速は350km/hにも達する。

 

13:10、天津駅に到着する。天津駅からは地下鉄で天津浜海国際空港に移動する。

 

天津空港からは行きと同じ春秋航空日本で帰国した。

 

朝鮮は「ふつう」の国だった

こうして、4泊5日の朝鮮旅行を終えた。

今回の旅行も、朝鮮国際旅行社(조선국제려행사)の金錦淑(김금숙)氏(左)と金泰慶(김태경)氏(右)の2名のガイドに大変お世話になった。

両氏からは別れ際にこんな言葉をもらった。

 

「朝鮮は日本人にとって近くて遠い国と言われていますが、いつか近くて近い国になればいいなと思っています。ここも皆さんと同じふつうの人間が暮らすふつうの国です。そのことを感じてもらえたらうれしいです。」

 

私の好きな文章に、デイリーポータルZ大山顕氏の「チェルノブイリは『ふつう』だった」という記事がある。

おどろおどろしいイメージのあるウクライナチェルノブイリ原発だが、実際に行ってみるとふつうの原発作業員がふつうの日常を送っている土地だったというルポである。

 

朝鮮も同じである。今回、私はつとめて朝鮮を「ふつう」に旅行するようにした。スーパーやプール、温泉や民家を訪ねて、なるべく朝鮮の人々の生活にふれるようにした。

こう書くと必ず「朝鮮は見せたいものしか外国人に見せていない、ショーウィンドウと変わりない」という批判が起こる。だが、それは違うと私は否定する。

どんな自由な国であろうと観光客から見える一面は限られている。何も旅行でその国の全てについて知る必要はない。今回、私は他の国を旅行と同じくらい人々の生活を見ることができた。それで十分であると思う。

仮に「見せたいものしか外国人に見せていない」としても、その裏に必ずその生活が垣間見えるはずである。それすら見えないというのならば、それは観察者の怠慢というものだろう。

 

朝鮮は確かに「変な」国である。その異常性を挙げればキリがないし、旅行者からしても個人で自由に旅行できない時点で相当におかしなことである。

しかし、この国で暮らす「ふつうの」人々にとって、ここは日常生活を送る「ふつうの」国なのも、また確かなのである。

 

おわり。