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twinrailの海外鉄道旅行記録

平壌から鉄道で日本へ帰国する 朝鮮平壌開城巡検 01-15

平壌での濃密な2日間を終えて、いよいよ日本に帰国する。今回は旅行費節約のため、往路と同じく復路も鉄道である。

34人の鉄道マニアによる朝鮮旅行、いよいよフィナーレである。

訪問日: 2016年3月11日

朝鮮鉄道で平壌を出発する

朝、平壌駅1番線ホームに朝鮮鉄道平義線丹東行きの51/85列車が待機している。大勢の人がスーツケースを引いて列車に乗り込んでおり、その風景は日本と変わりないようにも思える。

 

車両は今回も中国鉄道である。車体番号を見る限りは、往路と同じ編成がまた使用されているようであった。

 

食堂車は朝鮮鉄道の車両であった。おそらくは平壌新義州のみの連結で、丹東には乗り入れないのだろう。シ(시)30 471の番号表記がある。

 

平壌新義州の方向表示がある朝鮮鉄道の一般寝台車両も連結されていた。国内だけの乗車も可能なのだろうか?車体にはタチム(다침)30 5315と書かれている。

 

牽引する機関車は内燃(내연)264機関車であった。

 

平壌駅のカート販売。平壌青年列車商業管理所(평양청년열차상업관리소)の表記がある。

列車で丹東へ向かう

10時10分。丹東行きの列車は出発した。列車の出発間際まで、ガイドの3名は見送ってくれた。

 

朝鮮鉄道のきっぷを見る。表紙には朝鮮語の他には、中国で発券したものと同じく、ロシア語とドイツ語が書かれているのが特徴である。

 

座席番号案内。こちらは朝鮮語と英語のみである。

 

宅庵(택암)駅。古い資料だと石巌(석암)駅と記載されている。

 

平壌郊外を出てからはほとんど寝ていた。往路と同じ光景であるし、この2日間の疲れが溜まっていたからだ。

14時51分。平壌を出てからおよそ5時間弱で新義州に到着した。

再び朝鮮税関による荷物や写真のチェックがある。新義州では、入国時は朝鮮に持ち込んではならないものがないかチェックされた。同様に、出国時においても朝鮮から持ち出してはならないものがないか再びチェックされ、加えて、撮ってはならない写真がないかもチェックされる。

とはいえ停車時間は2時間以上もある。チェックも早々に終わって、かなりの間暇を持て余していた。

 

16時43分。列車は再び動き出す。鴨緑江を越え、見慣れた中国の地方都市の風景が見えてきた瞬間、メンバーで一斉に拍手をした。スマホがネットに繋がり、ここ4日間溜まりに溜まっていた通知が一気に押し寄せる。下界に戻ってきた、という表現が一番しっくり来るかもしれない。

中国はいろいろな意味で自由とはほど遠い国であるかもしれない。だが、中国に入国して初めて「自由な世界に帰ってきた」と感じた瞬間だった。

時刻が北京時間に切り替わって30分遅くなり、16時23分。列車は丹東駅に到着した。丹東駅を出ると、旅行社の日本人担当者の人が出迎えてくれた。記念に丹東駅前の毛沢東像の前で34人の集合写真を撮影した。

国鉄道で丹東から瀋陽

一行はここで解散となるが、およそ半分の十数名は私と同じ行程で日本に帰ることになる。

 

丹東駅で帰りのきっぷを購入する。鉄道で丹東→瀋陽瀋陽北→ハルビンと乗り継ぎ、ハルビンからは往路と同じ春秋航空で中部空港に帰国する。

 

丹東18:31発の北京行きK28列車に乗車する。この列車は翌朝北京に到着する寝台列車であるが、我々は硬座という普通座席車に乗り、22時頃に瀋陽で下車する。

瀋陽駅から瀋陽北駅へ乗り継ぐ

さて、瀋陽駅からが問題であった。ハルビン方面の寝台列車はやや離れた瀋陽北駅から出発する。地下鉄は終電を過ぎているし、十数名で夜のタクシーに分乗するのも不安である。そこで、ちょうど瀋陽瀋陽北と停車する列車があるのでそれに乗り継ぐことにした。

しかし、きっぷに問題があった。2016年当時の中国鉄道では、原則として当駅発以外のきっぷを販売しないという制限があった。手数料を払えば可能ではあったのだが、瀋陽瀋陽北という短距離のためにわざわざ手数料を払うのももったいない。そのため、丹東駅ではきっぷを買わずに瀋陽駅で買えばよいと思っていた。

だが、瀋陽駅での乗り継ぎ時間が40分程度しかない。日本ならば十分すぎる時間だが、空港のように広大な中国の駅ではあまりにも短すぎた。加えて、深夜のためきっぷ窓口が一つしか空いておらず、列の進みが遅い。発券された頃には発車直前となっていた。

駅の手荷物検査に駆け込み、改札終了間際の列車に飛び込む。どうにか全員間に合ったが、とても肝を冷やした。

なお、2023年現在はネット上でチケットレスで好きな区間のきっぷを買うことができる。もうこのような経験はしなくて済むだろう。

瀋陽北まではわずか5分程度の道のりだった。再び乗り換えて、ハルビン行きのきっぷを購入し、列車を待つ。先ほどと違って、今度は1時間半ほど乗り換え時間がある。時刻も0時をすぎて、むしろ時間を持て余し、早く列車が来ないかと思っていた。

寝台列車瀋陽からハルビン

瀋陽北からハルビン行きのK975快速列車に乗る。行きの中国鉄道と同じく硬臥という3段開放寝台だ。深夜の時間帯ということで車内も暗く、すぐに寝た。

 

翌朝、ハルビン駅に到着する。2023年現在は改装されて壮大な駅になっているが、当時は古く、省都にもかからわずローカル線の駅のようであった。

春秋航空日本でハルビンから帰国する

ハルビン駅前から出ている空港リムジンバス1系統でハルビン空港へ向かう。ハルビン空港は国内ターミナルと国際ターミナルがかなり離れている。

 

国内線は中国の省都に相応しい巨大空港だが、国際線は大変のどかであった。海外旅行ブームの中にあっても、国際線はわずか1日9本であった。

 

春秋航空9C8617便で中部空港に帰る。

 

搭乗し、離陸する。往路のような免税品の啖呵売もなく機内は静かなまま、およそ4時間後に中部空港に着陸した。

往路と同様に税関から熱い歓迎を受けるのかと思ったが、どこから帰ってきたかは尋ねてこなかった。ただ、私の荷物はとても丁寧に検査された気がした。

これで朝鮮旅行は終わり、ではなかった。再び故郷の横浜まで青春18きっぷを乗り継いで帰らなければならない。何度も普通電車を乗り継いで、横浜に着いたころには夜も遅くなっていた。

北朝鮮に鉄道マニア34人で押しかけた

朝鮮は、今もなお外務省から渡航を「自粛」するように要請されている。私としても朝鮮旅行を積極的に推奨することはできない。

とはいえ、あまりその姿を知られることのない朝鮮の鉄道を写真に収め、こうして全世界に公開することができた。これで本来の旅行の目的は十分果たされたと思う。

同時に「twitterで知り合った33人を朝鮮に連れていく」というけっこう珍しい経験をした。34人もの大人数で旅行をすることは予想外に面白く、人生で一番楽しい旅行になった。最初は見ず知らずのメンバーだったが、この旅行を通じて昔からの友人のように仲良くなったように思う。

そしてなにより、日本から見たら異文化どころか「異世界」のような北朝鮮に行って、その空気感をまるごと感じられた体験は貴重だった。ネットもスマホも使えない場所だったが、24時間見るもの全てがおもしろく退屈する暇すらなかった。

ただ想定外なことに、朝鮮のガイドにとっては日本の鉄道マニアも同じくらい「異世界」の存在であるようだった。後日、旅行代理店の人に話を聞いたところ、私たちのことが平壌の旅行社の社内中で話題になっていたらしい。

「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている」とはこのことなのだなと思った。

おわり。