日本史の資料集で「撫順炭鉱」という言葉を見たことがあるだろうか。
かつて満鉄が経営した炭鉱は、今も動き続けている。そこに走る炭鉱鉄道を見てきた。
訪問日: 2014年8月13日
普通列車で瀋陽から歪頭山へ向かう
早朝、ホテルを出て瀋陽駅にやってきた。外観は東京駅のような重厚な造りだが、内部は新たに建設された近代的な造りをしている。
瀋丹線の普快4223列車、瀋陽06:22発の丹東行きに乗車する。
今回は新空調車両の硬座車(エアコン付き普通車)を利用する。中国の在来線ではよくあるタイプである。
1時間ほど乗車して、瀋陽から南に50kmほどのところにある歪頭山駅に07:30に到着した。乗客たちはぞろぞろと跨線橋を渡っていく。
跨線橋に上がり歪頭山の駅を眺める。駅舎は左手奥にあるものだが、そちらに向かう乗客はあまりいない。ほとんどの乗客の目的はこの跨線橋の先にあるようだ。
歪頭山の鉱山鉄道に乗る
乗客たちは跨線橋を降りた先に止まっていた短いローカル列車に乗り込んでいった。
ここ歪頭山は鉄鉱石の鉱山である。鉱山職員の通勤のために、中国鉄道の歪頭山駅から鉱山までシャトル列車が走っているというわけである。ただ、残念ながら2017年にこの列車は廃止されてしまったということである。
車両は21型客車の硬座車(YZ21)が使用されている。おそらくは1950年代に製造されたであろう、貴重な車両である。
一方で牽引するのはGK1C型ディーゼル機関車で、2007年に製造された比較的新しい車両である。かつては貴重な機関車も使われていたようだが、置き換えられてしまったようだ。
車内はビックリするほどシンプルだった。ベンチしか置かれておらず、短距離の通勤に特化している。車内は先ほどの瀋陽から接続した列車の乗客が多い。
列車は07:40に歪頭山駅を発車し、ゆっくりと走っていく。ドアも開け放しで、ハコ乗りもできそうだった。危険なのでやらないほうがいい。
10分ほどで鉱山駅に到着した。乗客がぞろぞろと降りて職場に向かっていく。
せっかくなのでもう一往復乗ることにした。列車は折り返し歪頭山駅に向けて、08:05に発車する。
歪頭山行きの列車は当然ながら誰も乗っていない。ちなみに「チケットを買いたいです」と車掌に言ったのだが「タダでいいですよ」といって売ってくれなかった。我々としてはお金を払ってでもきっぷが欲しかったのであるが…。
歪頭山駅からもう一度鉱山行きの列車に乗る。列車は08:50に発車した。鉱山鉄道もしばらくは中国鉄道の本線と並走する。踏切には必ず係員がいて有人で監視しているのが中国鉄道の特徴である。
列車は左にカーブして鉱山駅へ向かう。
鉱山駅に到着し、パラパラと通勤客が降りていった。
時刻表が掲示してあった。当時は朝に3往復、夕方に2往復あったようである。朝の列車は、この鉱山駅止まりの列車をもって終わりのようだ。
鉱山駅の外に出て外観を見る。中華風の屋根が特徴的である。
鉱山駅の周囲には鉱山施設や住宅が広がる村があるだけだ。近くの都市である本渓行きの路線バスが出ているので、それに乗って移動する。
本渓から次の目的地の撫順に向けて移動する。路線バスも出ているが、撫順での移動手段も欲しかったので、本渓から白タクを貸し切ることにした。
撫順の炭鉱と鉄道を見学する
本渓から北に約100km、道路を走ること約2時間、ようやく撫順の街に到着した。
巨大な露天掘りの炭鉱を見た。ここは撫順炭鉱の西露天鉱の東岡展望台である。西露天鉱長さは6km、深さは400m以上に及び、世界でも大規模な部類に入る。
段々畑のような土地に線路がビッシリと敷かれ、ジオラマのように列車が動いている。日本ではとうてい見ることができない、壮大なスケールの景色が広がっている。
東岡展望台付近を走る線路では、クロコダイル型の電気機関車が石炭車を牽引して走っていた。
その他にも、個性豊かな鉱山鉄道の車両が運行している。
撫順炭鉱博物館を見学する
西露天鉱をぐるっと回って、撫順炭鉱博物館(抚顺煤矿博物馆)に来た。
この博物館では、撫順炭鉱の歴史の解説や機器の展示などが行われている。中国有数の炭鉱であるとともに、負の歴史を持つ側面があるのもまた事実である。
館内の展示ももちろん面白いが、屋外の鉄道車両展示も興味深い。
SY0628蒸気機関車。
SY0715蒸気機関車。
ZG150-1500-1型電気機関車。
EL-1型電気機関車1707号機。
37E-1型電気機関車1526号機。
三菱85t電気機関車1137号機。
博物館の屋外展示からも西露天鉱が見渡せる。
博物館の近くには現役の炭鉱鉄道が走っている。韶峰型電気機関車が石炭車を牽引してきた。
撫順北駅から瀋陽駅まで移動する
撫順炭鉱博物館から路線バスに乗って撫順北駅まで移動する。
撫順市の中心駅、撫順北駅にやってきた。
駅構内に入りチケット売り場の列に並んでいたら、一人の高齢女性が「もしかして日本人ですか?」と声を掛けてきた。聞けば、「中国残留孤児」、すなわち第二次世界大戦の末期、混乱の最中に両親と離れることになった日本人なのだという。撫順という土地柄、そのような境遇の人がいるのは想像に難くない。その女性は涙ながらに我々に身の上話を語ってくれ、こちらもとうてい涙なしで聞くことはできなかった。
……だがその時、列の後ろに並んでいる中年男性が唐突にTシャツをめくり腹を出してきた。暑い夏の盛りに涼むため、中国人の中年男性がよくやる「北京ビキニ」スタイルである。そしてあろうことか、タヌキのように腹をポンポコポンと叩きはじめた。
涙をこぼしながら境遇を話す中国残留孤児のおばあさんと、素っ頓狂なスタイルで腹を叩き始めるオッサンに挟まれ、泣くべきなのか笑うべきなのかもはやわからない。限界の時間が過ぎていった。
撫順線の快速K7398列車、瀋陽行きに乗る。 撫順北を19:24に出発する。
この列車はエアコンなし(非空調)の硬座車、いわゆる「旧型客車」に相当する。扇風機が回る夜のローカル線は雰囲気があってよい。
瀋陽駅に20:18に到着した。
地下鉄の車内の様子。
青年大街駅で2号線に乗り換える。
寝台列車で瀋陽北駅から北京駅へ
地下鉄に乗って、瀋陽北駅に到着した。瀋陽駅と並ぶ、瀋陽市のターミナル駅の一つである。
駅構内に入ると巨大な吹き抜けに出迎えられた。
待合室で発車を待つ。
京哈線の快速K54列車北京行きに乗車する。瀋陽北駅を21:25に発車する。
快速という下位の種別であるが、北京までノンストップで走る在来線最速列車である。座席車はなく寝台車のみが連結されていて、実質的に瀋陽~北京の花形列車と言っていい。
今回はせっかくなので軟臥(A寝台)に乗車した。2段ベッド4人個室なので、我々4人で貸し切ることができた。
車内のプレートには「動くホテル」と書かれていた。かつての日本のブルートレインの呼び名を、現代に伝える存在かもしれない。
翌朝07:41、列車は北京駅に到着した。
日本航空で北京から東京へ飛ぶ
北京駅から北京首都国際空港へ移動する。
日本航空JL864便に搭乗する。北京空港を15:20に離陸し、成田空港に19:55に着陸する。
普段はLCCや外国の航空会社を多用しているが、夏休みの真っ盛りでは意外にもJALが一番安かった。
足掛け7日間にわたって、中国の東北地方、旧満洲をローカル線で駆け抜けていった。
北海道を10倍にしたような大地、どこまでも果てしなく海のように広がる森の風景を、忘れることはないだろう。
おわり。