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twinrailの海外鉄道旅行記録

ニューかめりあに乗って京元線白馬高地駅へ行く 韓国軍事境界線巡検 09-01

福岡から釜山を結ぶフェリー「ニューかめりあ」に乗って韓国へ渡った。

海路と陸路を乗り継いで、朝鮮との境界の手前、白馬高地駅を目指す。

訪問日: 2014年8月25日

フェリーニューかめりあに乗る

ニューかめりあは、博多港釜山港を結ぶカーフェリーである。

私が住む横浜から青春18きっぷ普通列車を乗り継いで29時間、福岡の博多港国際ターミナルにやってきた。博多駅からもバスで20分とかなり都心に近い。

乗船手続きを終えて、ニューかめりあに乗船する。

今回は2等船室に乗船した。いわゆる雑魚寝タイプで、満席になると窮屈そうだが、ほとんどの場合はかなり空いているので、私は個室よりも快適に感じる。

船内は至ってふつうである。2004年建造の船なので、乗船当時は建造10年の比較的新しい船だったが、現在は建造19年という少し古い船になっているだろう。

曇り空の中、博多港を12:30に出港した。

もう少し船の中の様子などを書きたいのだが、あいにく写真も記憶も残っていない。気づいたときには釜山大橋をくぐり抜けていた。

5時間半の航海を終えて、18:00に釜山港に着岸した。

夜行ムグンファ号で釜山からソウルへ行く

釜山港博多港よりもさらに都心部に近い。歩いて釜山駅までやってこれた。曇りの天気はとうとう雨になってしまった。

雨の中行くところもないので釜山駅で暇を潰すこと4時間、本日発車の列車もほとんどなくなり、電光掲示板には翌朝の列車が並ぶようになってきた。本日の最終列車、23:10発の夜行ムグンファ1228号ソウル行きに乗る。

発車20分前でも駅の窓口には多くの客がいた。大きな荷物を持った人から軽装のサラリーマンまでいる。みなこれから夜行列車に乗るのであろう。

ホームに降りると列車が入線していた。7400型ディーゼル機関車が牽引する客車列車である。往年のムーンライト九州号などを彷彿とさせる。

車両は全車座席車で、寝台車の連結はない。当然昼間に走っているムグンファ号と同じ設備なので、特段寝やすいわけでもない。

列車は定刻23:10に釜山を出発した。ハッキリ言って、そこからの旅路はつらいものであった。

この列車は、釜山とソウルの夜行列車という役割を持っているだけではない。釜山から大邱・大田あたりまでの終列車と、大邱・大田あたりからソウルまでの始発列車の役割も兼ねている。

そのため、途中駅からも多くの客が入れ替わり立ち替わり乗ってくる。しかも割とこまめに停車するので、全く落ち着かない。

そして、途中駅で降りる人を寝過ごさせないようにしているのか、駅に到着するたびにものすごくデカい音で放送が流れる。やっと眠くなることに再び放送で叩き起こされるという地獄であった。

そして早朝04:27、まだ真っ暗なソウル駅に放り出された。あまりにも眠いので近くのサウナの仮眠室で昼まで二度寝した。

この列車は乗らない方がいい……と言いたいところだが、時代の流れもあってか2023年現在、夜行ムグンファ号は全て廃止されている。

なお、この日の午後はソウル市内の列車を撮影した。別記事に記載するのでそちらを見てほしい。

京元線白馬高地駅へ行く

翌朝、京元線の東豆川駅にやってきた。

京元線はソウル市内中心部にある竜山駅から東豆川駅、そして一つ北側にある逍遥山駅までは10両編成の地下鉄が頻繁に運行している。一方で、東豆川駅から逍遥山駅を経て、朝鮮との軍事境界線に近い白馬高地駅までは、当時は1~2時間に1本ほど「通勤列車」と呼ばれる気動車が走るローカル線になっていた。

通勤列車の他にも、DMZトレインという観光列車がソウル市内中心部の清涼里駅から1日1往復運行していた。

今回は9501系気動車が走る通勤列車に乗る。2757列車白馬高地行き、3両編成のローカル感あふれる列車である。

白馬高地行きの行き先表示板。

車内は意外にも混雑していた。中高年のハイキング客が多いらしい。

東豆川駅を09:30に発車する。逍遥山駅を出ると車窓はほとんど田舎そのものになる。

小一時間乗車して、10:25に終点の白馬高地駅に到着した。

朝鮮戦争の影響で、京元線の線路はここで途切れている。そもそも、京元線の「京」はソウルを指すが、「元」は現在は朝鮮側の領土にある元山を指している。看板には韓国語で「鉄馬は走りたい」と書いてあった。

白馬高地駅は周囲に一般の民家はほとんどなく、もっぱら軍事境界線、非武装地帯(DMZ)の観光拠点となっている。

武装地帯見学ツアーに参加する

白馬高地駅から非武装地帯のツアーバス(安保見学(안보견학))に参加してみた。白馬高地駅発10:40と13:30(土日は14:30も追加)、約3時間の行程で14000ウォン(約1400円)である。第2トンネル、鉄原平和展望台、月井里駅などを経由するということである。

バスが出発し、田舎の風景の中を走っていく。非武装地帯の周辺はこのようなのどかな景色が広がっている。

鉄原平和展望台の駐車場に到着し、モノレールに乗り換えて展望台へ向かう。

鉄原平和展望台では朝鮮側の風景が眺められる……のだが、なんと風景は撮影禁止であった。以前に行った都羅山展望台でも謎の規制はありつつも撮影はできたのに、つまらない話である。まあ私は平壌まで行ったことがあるので別にいいのだが……。

続いて月井里駅に来た。現在、京元線は白馬高地駅で終点になっているが、朝鮮戦争前はそこからさらに鉄原駅、月井里駅、そして佳谷駅と続いていた。現在は月井里駅までが韓国側の領土になっており、廃駅となりつつも駅舎が残っている。

駅の片隅には屋根に覆われた廃車体がいる。

 

朝鮮戦争時に爆撃に遭遇し、当駅に残された機関車の車体であるようだ。

ここにも「鉄馬は走りたい!」の看板がある。韓国ソウルから104km、朝鮮元山から123kmということで、おおよそ京元線の中間にあたる。再び直通の鉄馬は走るのだろうか?

白馬高地駅からソウルに戻る

アーバスは白馬高地駅に戻ってきた。

再び京元線の通勤列車に乗ってソウルへ戻る。2762列車東豆川行、白馬高地13:30発である。のどかなローカル線の駅であり、「戦争の前線」と言われてもピンとこないような気がする。

列車が出発し、車窓を眺める。なんてことのない田舎の景色のようだが、よく見ると道路に迷彩が施された構造物がある。有事の際はここを崩壊させて敵軍の通行を阻害する設備である。やっぱりここは「戦争の前線」なのかもしれない。

終点の一つ前の逍遥山駅に14:24に到着し、復路はここで下車した。

ここから地下鉄の電車に乗り換える。列車は3両編成から10両編成になり、急に都会の雰囲気になった。

午後とその翌日は再びソウル市内の電車の撮影を行った。別の記事にまとめておくのでそちらを見てほしい。

バニラエアで帰国する

 

こうして4日間の韓国旅行を終えて、バニラエアJW204便、仁川空港19:15発、成田空港21:55着で帰国した。

旅行中はかなりの時間を駅のホーム端で電車撮影に勤しんでいたので、それ以外の内容はこの一記事にまとまるほどでしかなかった。一方で、フェリーで韓国に渡ったり、今はなき夜行ムグンファ号に乗ったり、現在運休中の京元線に乗ったりと、いろいろと貴重な体験をした。

おわり。