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twinrailの海外鉄道旅行記録

『北朝鮮に鉄道マニア34人で押しかけた話』の裏話 朝鮮平壌開城巡検 01-01

北朝鮮に鉄道マニア34人で押しかけた話』というnoteを書いたらめちゃめちゃバズった。

はてなブログでは、noteに書ききれなかった旅行の裏話を連載形式で書いていく。

noteがめちゃめちゃバズった

私はおととい『北朝鮮に鉄道マニア34人で押しかけた話』というnoteを書いた。2016年に朝鮮に行った時の旅行記なのだが、これがものすごくバズった。

その翌日に書いた『北朝鮮は「普通の国」だったという話』という話も、多くの反響を得た。こちらは2019年に2回目に朝鮮に行った時の話である。どちらもたくさんの人に読んでもらえてありがたい限りである。

とはいえ、noteに書いたのは旅行のごく一部を切り貼りして「エンタメ」にしたにすぎない。そうした理由は簡単で、その方がバズるからだ。

だが、やはり私も鉄道オタクであるので、実のところそういう小綺麗な文章よりは、乗った電車の写真をベタベタと貼り、ひたすら克明にレポートするような文章を本当は書きたい。その方が次に旅行する人の参考になるだろう。

そこで、noteに載せきれなかった写真や内容について、はてなブログに残していこうと思う。

なぜ私は朝鮮に行ったのか

はてなブログから来た人もいるだろうし、なんらかの不思議な力でnoteが消えるかもしれないので、旅行に行くまでのあらすじを載せておく。

時は2015年、大学生活も終わりに近づいていた私は「朝鮮の鉄道に乗りたい」という理由でtwitterで知り合った鉄道マニアと北朝鮮に行くことに決めた。

朝鮮は個人で自由に旅行することはできないが、旅行代理店経由でビザを申請すれば旅行できる。ただし「ガイドと専用車が必須」という条件があるため、朝鮮旅行は金銭的なハードルが高い。

大学生の私に金銭の余裕はなかったため、旅行代理店に相談したところ「人数を集めれば一人あたりの値段が安くなる」というアドバイスをもらった。

そこで私はtwitterを使い参加者を募ったところ、自分も含めてなんと34人もの参加者が集まった。そうして2016年3月、朝鮮旅行を決行することになった――。

なぜ私は再び朝鮮に行ったのか

この話には続きがある。そちらもあらすじを書いておく。

前回から3年が過ぎ、時は2019年、私は再び北朝鮮に行きたいと思い、今回は見知った友人6名だけを連れて行くことにした。

今回のメンバーは鉄道好き以外も多かったので、あえて鉄道の要素は少なめにした。普通の海外旅行と同じように、北朝鮮を「普通に」旅行してみたかった。

こうして2019年9月、再び北朝鮮に赴いた――。

朝鮮は「普通の国」ではない

旅行に行ってからの詳しい内容はnoteの方を見てほしいし、今後はてなブログでも連載していくので楽しみにしていてほしい。

一方で、noteを公開してからさまざまな指摘や批判をいただいた。文章を書いて公開した以上、真っ当な指摘や批判には答える責任があろうと思うので、いくつか答えていく。

まず最初に「私も朝鮮に行ってみたいと思いました」というような純朴な感想に対してである。興味を持っていただけるのは嬉しいが、何も考えずに旅行してトラブルになるのも困る。「朝鮮旅行のリスクを書いていない」という指摘もあったので、道義的にもきちんと説明しておこうと思う。

単刀直入に言えば「朝鮮への渡航は高いリスクがある」ことは事実である。朝鮮は「普通の国」ではないのである。

朝鮮で最も重い罪とは「体制への反逆」だと考えられる。その最たる例は2016年1月に発生したアメリカ人観光客、オットー・ワームビア氏の死亡事件であろう。

彼はホテルにある政治スローガンが書かれたポスターを持ち帰ろうとした、という理由で朝鮮当局に拘束され、1年5ヶ月後に昏睡状態で帰国後に死亡した。

通常の国ならば、単なる窃盗未遂でここまでの処罰がなされることは異常である。しかし、政治スローガンが書かれたポスターへの冒涜は「体制への反逆」であり、非常に重い処罰が下されるべきだ、というのが朝鮮当局の論理なのだろうと考えられる。

他にも、日本人観光客が国外追放になった事例もある。ただし、こちらは追放された理由などは未だに不明である。

……という事例自体は頭に入れておいてほしいが、実のところワームビア氏は処罰が異常に重いとはいえ、窃盗未遂を犯しているのも確かである。また、全く無実の観光客を突然拘束するような事態は知る限り今までにないし、今後も起きるとは考えづらい。観光客を丁重にもてなして帰国させることが朝鮮当局にとっても一番利益になるからと思われるからである。

「他の国ではささいな犯罪も、それが体制への反逆ならば、朝鮮では重罪として扱われる」と理解しておくのが一番正確だと思う。

ひと味ちがうアメリカ旅行

(追記)twitterで指摘されて思い出したのだが、朝鮮に渡航するとアメリカ合衆国に旅行するのが大変めんどうになる。

日本人はアメリカに観光で渡航するときには、通常は「ESTA」という電子渡航認証システムが使用でき、オンライン上で登録が完了する。だが、以下に当てはまる場合は使用できなくなる。

この場合、アメリカに観光で渡航するときにはB2ビザを取得しなければならない。オンライン上では完結せず、アメリカ大使館または総領事館に行って面接する必要がある。

めんどうなことこの上ないのだが、逆にいえばイランやキューバなど、観光先としてそこそこ有名な国も含まれている。私も鉄道マニアとして今後それらの国に行く可能性が高いため、そのあたりはしかたがないと割り切っている。

なお、私の周囲にはイランや朝鮮に渡航した経験のある者がそれなりにいるが、アメリカビザが拒否されたことは今のところない。アメリカ当局もそのあたりの事情は承知しているらしい。

なお、アメリカへの渡航歴があっても朝鮮への旅行にはなんら影響はない。

ちなみに、この記事を書いている現在、私はアメリカビザの面接の準備をしている。やっぱりめんどうなことこの上ない。

朝鮮のプロパガンダは「校長先生の話」である

非常に多かった批判の一つに「朝鮮のプロパガンダではないか」というものがあった。実際、朝鮮当局が外国人観光客を丁重に扱う理由の一つに「体制の宣伝」というものも存在するだろう。だが、残念ながら、その宣伝はほとんどが退屈でつまらないのである。

朝鮮では観光地に行くと、たいてい綺麗なチマチョゴリを着た女性の案内員が登場する。アナウンサーのような口調で、いかにこの建物を作った「指導者」が偉大かを滔々と説明し、旅行社のガイドがそれを通訳する――というような光景が何度も繰り返される。そして、その話はだいたい退屈でつまらない。例えるならば「校長先生の話」なのである。

つまらない理由はごく単純で、これは国内向けの宣伝だからである。情報が遮断された朝鮮の国民ならばともかく、海外旅行をするような外国人が素直に信じるような代物では全くない。

旅行社のガイドもそれはわかっているのか、通り一遍の解説はするものの、あまり熱心に外国人に体制の宣伝をするような姿勢はなかった。それよりも、いかに観光客にお金を落としてもらい、満足して帰ってもらうかという、旅行社としてはごく当たり前のことに尽力していたようにみられる。

結論を言えば「朝鮮の観光はプロパガンダであるが、ほとんど洗練されていない」ということになるだろう。退屈すぎてわざわざ旅行記に書いていないだけなのである。noteの最後に「全く退屈しなかった」と書いていたが、よく考えたらあの時間だけは退屈だった。

余談だが、旅行中に博物館でゴリゴリの反米宣伝映像を見たあとに思いきり拍手をしたら「これで拍手をする日本人は初めてですよ……」とガイドにドン引きされた。プロパガンダに協力しているのだから引かないでほしい。

平壌は巨大な「タワマン街」

もう一つ多かった批判として「作られた光景を見せられているだけではないか」というものもあった。これについても体験をもとに解説していく。

平壌というのは特殊な都市である。一国の政治的・経済的な首都でありながら「スラム」というものが存在しない。通常、大都市は農村から多くの労働者を吸収し、スラムを形成することが多い。しかし、平壌にはそのような地区が少なくとも見える範囲にはない。

こちらも理由は単純で、朝鮮の国民は移動・居住の自由がほぼ存在しないからである。平壌は、簡単に言えば政治的・経済的に地位が高い人々のみが居住できる都市である。平壌に通じる道路には検問が設置され、農村の一般人が移住する余地はない。都市がまるごと「タワマン街」のように切り離されているのである。

しかし、それは必ずしも「虚構」であることを意味しない。政策的に居住者の流動を制限しているのも確かだが、一方で数百万人が居住する大都市としてそれなりの経済活動が行われていることも事実である。

ラッシュ時には自動車は少ないものの道路は自転車で溢れかえるし、スーパーやレジャーランドは多くの人で賑わっている。居住者が富裕層に限られているという点はありつつも、平壌は決してハリボテの舞台セットではなく、人々の暮らしがしっかりと根づいた土地なのである。

朝鮮の民家は誰の家か

平壌の富裕層だけ見ては片手落ちだという批判もあるかもしれない。ただ実際のところ、車窓からではあるが、郊外を車で走る中で農村部の人々についても可能な限り詳しく観察・撮影してきた。

とはいえ、それは「普通」の旅行の行動としてはかなり異常である。例えるなら日本に来た外国人観光客がドヤ街などに入ってパシャパシャと撮影するようなものだ。なので「普通」の旅行記としてあえてそのことは載せなかったが、意見をいただいたので答えようと思う。

詳しい写真は今後の記事に載せていくが、やはり農村部の一般人はかなりくたびれた格好をしていた。自動車もトラクターもほとんど見えず、機械化も遅れており手作業による農業を行っていた。典型的な発展途上国の貧困な農村の風景である。

ここまではnoteにも書いたとおりだが、一つ付け加えておくと、この風景を撮影するのをガイドは全く止めなかった。単純に考えて、これはかなり朝鮮当局としては見られたくない光景のはずである。そもそも、旅行全体を通して、軍事施設の外観と商業施設の内部以外で撮影を禁止されることはなかった。

モデル農村で訪問した民家も、ごく平均的な一般人の家というわけではなく、「指導者」との記念写真があることやそれなりに家電が充実していることから、村の中でも名士の家であることは察せられた。しかし、全くもって見学専用のセットなどではなく、実際に居住して日常生活を送っている家であることも随所に感じられた。

朝鮮の園児と日本のオタク

一方で、完全に「作りもの」だとわかったこともある。農村の幼稚園を見学したときは、観光客が見学に来ると子どもたちは一糸乱れぬ動きでダンスを披露し、それが終わると観光客の周りに集まってきた。社会主義国家の外国人視察団の「歓迎」として完璧すぎる動きだった。先述の通り、朝鮮のプロパガンダは洗練されておらず、わりと雑なのである。

驚いたことに、子どもたちに向かって朝鮮語で何を話しかけても口を開かなかった。おそらく外国人とは何も喋らないように指導されているのだろう。レストランの店員や観光地の案内員など一部を除いて、朝鮮国民は外国人との交流を避けているようにみられる。外国人観光客にガイドが必須であるのも、朝鮮の国民が外国人との接触を行うのを避けるため、というのがおそらく一番の理由であるように思える。

結論を言うと、「全てが作りものというわけではなく、虚飾と日常が入り交じっている」のである。この国の旅行を楽しむコツは、今見ているものがどちらなのかをよく考えることであろう。

子どもたちを見ながらそんなことを考えていたら、メンバーの一人が子どもたちに「イエッタイガー!!」とオタ芸を仕込もうとしていた。純真な子どもたちに変なことを教えないでほしい。

「特殊な国」の中にいる「普通の人々」

結局のところ、朝鮮は「地上の楽園」でも「この世の地獄」でもない。かなり後者に寄っている方だとは思うが、それでも実情はその中間のどこかにある。

そういう意味で、やはり朝鮮は特殊な国であるのは間違いない。だが、その中で普通の人々が日常生活を送っているのもまた確かであることは、何度でも強調しておきたい。

参考書籍

朝鮮の観光事情についてより深く知りたい方には、 礒﨑敦仁氏の『北朝鮮と観光』をおすすめする。私は体験に基づいて書いているだけだが、こちらは非常に丁寧な研究を元に書かれているので、こちらを読んだほうがいいと思う。

 

ところで、noteでもこの記事でも、肝心の「朝鮮への行き方」について全く書いていなかった。

次回の記事では朝鮮への行き方について詳しく解説する。

つづく。